小学生の頃、現在の福岡県太宰府市に住んでいた(当時は筑紫郡太宰府町)。
当時電車通学で西鉄大宰府線の五条駅から隣の太宰府駅にある太宰府小学校まで通っていた。が、道草の鬼のような子供だったので、当然帰りは電車で帰らず「山道」と呼ばれていた山側の道をテクテクと歩いて帰っていた。途中までは普通の住宅地だったが、途中から「山道」に変わる。その入り口にそれはあった。
石穴神社である。
稲荷神社のようで、中に入ると赤い鳥居が延々と立ち並びお稲荷様があちこちにある。その様子は、小学生にはちょっと怖い。しかも、そこから先は「山道」なのだ。まさにそこに一種の結界があるように感じていた。
しかも、神社の奥に行くとその由来と思しき石穴がある。実際には稲荷神社として成立する以前から古い歴史があるような雰囲気。実際、ここが天の岩戸や日本書紀だかなんだかにある石穴であると主張する歴史学者もいたらしい。
今日は、なんとなくこの神社を思い出した。
そこで検索してみたら昨年撮影された神社の様子を掲載している人生色々というBlogの記事「石穴神社」を発見。
いやぁ、Google Earthで確認して何も変わっていないなぁとは思っていたが、やっぱり当時のまんまだな。ちなみに、石穴神社が実家という吉嗣敬介さんの論文を見つけたので以下にリンクを掲載しておく。
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