ファミレスなどで店員が使う言葉で「よろしかったでしょうか?」というのが、ずっと気になっていた。気になっていたが、関東ではそういうものかと極力気にしないように気を遣ってきた。
だが、今回実家の関西に少し長く居て関西でもこの表現が広まっていることに気が付いて愕然とした。あぁ、この不愉快な表現は全国規模で広がっていたのか。
この表現は、注文をした際「ご注のほう、これでよろしかったでしょうか?」や、お水を注ぎに来たとき「お水のほう、よろしかったでしょうか?」という使い方がなされる。
こういう表現を聞いて腹が立つ理由を考えてみると2つ思い浮かぶ。
まず、第一にいずれも「許可」を求める(前者は確認ともとれるが、注文確定前なのでやはり許可ととるのが妥当だろう)べきところで、表現としては「確認」になっていること。本来は「よろしいでしょうか?」のはずだ。意識としては許可をしようかというところで、確認を求められ責任転嫁をされているようで腹が立つのだろう。
次に時制の不一致。
例では、注文が確定する前だし、水も注がれる前の段階で、過去形で聞かれることの違和感がどうしても消えない。一度注文を受けて忘れてしまったので再度聞きに来たとか、黙って水を注ぎ足してしまって後ならばわかるが……。
いずれにしても丁寧語のつもりだろうが、聞いていてイライラする。その前の節の「〜ほう、」というのもなんだかよくわからないが、曖昧な表現をすることで丁寧な言い方のつもりになっているよくない丁寧語の端的な例であろう。
思うに、これは東北の方の言葉が元になっているのではなかろうか。「よろしいですか?」というのは仙台の方の言葉では「いかったぺか?」という。これを標準語に直して「よかったでしょうか?」となってしまっただろう。そして、どこかのファミレスでマニュアルを作っていた担当者が東北出身で、この過ちをそのままマニュアルにしてしまい業界で広まってこういう表現が日本中に広まった……のだろうか。
それとも、よく訛りを指摘される東北出身者の陰謀だろうか?
いずれにしても、聞きたくない。
Appling 2ndの『リピート』 の記事を読んで、面白そうだったので買って読んでみた。 リピート posted with amazlet on 07.04.01 乾 くるみ 文藝春秋 (2004/10/23) 売り上げランキング: 194098 Amazon.co.jp で詳細を見る そもそもタイムスリップものは好きなジャンルであることと、そのタイトルと紹介されていたストーリーから大好きなケン・グリムウッドの『リプレイ』を連想したからだ。実際、作品の中でも時間を繰り返すタイムスリップを突きつけられた時主人公達はケン・グリムウッドの『リプレイ』を引き合いに出して議論を行う場面もあるので、作者がリプレイを意識しているのは確実だろう。 タイムスリップ物というSF的な文法を使いながら、うまくミステリーの要素を融合させ、ちょっぴり恋愛物のスパイスも利かせてうまい具合にまとまった作品になっている。たまたま今回は筋が読めてしまって「やっぱり」って感じもしたが、一般的には二つの要素がかみ合ってうまく最後まで読者を惹きつけるだろう。 帯には" 『リプレイ』+『そして誰もいなくなった』 "などと銘打ってある。確かに楽しめる作品であるが、ちょっと言いすぎかな。『リプレイ』のオマージュと考えると、以下の点で物足りなさを感じる。 リプレイ(リピート)の期間が短い 『リプレイ』では25年だったリプレイの期間がわずか10ヶ月を遡るだけ。このことで「人生を繰り返す」といっても重みが違ってきている。しかも描かれるのはそのあるサイクルだけだ。 描写される時代 『リプレイ』では自信を失っていた80年代のアメリカから良き時代の60年代、70年代がリプレイで描かれるところが大きな魅力になっている。一方『リピート』では振幅が短いためリピート自体にそういった効果はないが、何故かそもそもの設定は91年となっていて中途半端に懐かしい。 主人公が嫌なヤツ 最初は好青年っぽいがだんだん嫌な面が描かれていく。物語は一人称で綴られているが主人公がそんな状態であるため、読み手としては感情移入がし難い。 とはいえ、結構な長編だが一日で一気に読んでしまったほど面白い。
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